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町長コラム

  • 年越しのごちそう

     令和3年も暮れようとしている。
     最近思ったことがある。お正月が近づくとテレビや新聞の広告などで、おせち料理の宣伝をよく目にするようになる。いろいろと種類が豊富でデパートやホテル、有名料理店などから通販で、あるいは地元のコンビニ、飲食店などでも購入できるようになってきた。
     我が家でも最近は地元の料理店などに頼むことがあるようだ。年越しの料理は少しリッチな気分が味わえる、外注のおせち料理が主流となってきたのだろうか。
     私の幼少の頃は、いわゆる重箱に詰まった本州のおせち料理というものでなく、普段はあまり食卓に上がらない、茶わん蒸しとか黒豆、なます、うま煮などをお皿に盛って大みそかの夜に、今年一年、家族が健康で過ごせたことや、その年の生業の良し悪しにかかわらず、無事、年を越して新年を迎えられることを感謝しながら家族みんなでごちそうをいただくのが一般的な大晦日の風景だったと思っている。
     大みそかは年越しそばで過ごし、元旦からおせち料理と雑煮を食べる本州とは違った北海道の独特のものだということは後で知ったことである。時代とともに北海道独特の食の慣習なども変わってゆくのだろう。
     そういえば節分の時の「恵方巻き」なるものを食す儀式など、北海道にはなかったはずだ。市民レベルの情報が容易に行き来する時代と輸送体系の充実、商業的戦略によって、国内の食文化もボーダレス化してきたのかとも思っている。
     どこへ行っても同じものが手に入り、同じやり方が共有されることは悪いことではないが、それによってその地域に受け継がれてきた独特の慣習や文化がなくなってしまうことには寂しさも感じるところがある。
     食の慣習や食文化のこういった傾向は、まちづくりにも当てはまるところがあるかもしれない。2000年頃から地方分権改革や地方創生の動きが高まり、これまで国の制度を活用したさまざまな事業が全国で行われてきたが、これといった成功例を耳にすることは少ない。それは結果として、全国どこでも内容が画一的なものとなり、その地域に根差した取り組みにはならなかったことが一因ではないかと思っている。どこにでも、その地域独特の風土によって育まれてきた産業や文化、この町、この地域だけに存在する普遍的な価値観や人と人とのつながりなどがあり、それらを土台に継続可能な地域づくりをすることがいかに重要であるかを明確にしている。守るものと変えてゆくものをしっかり住民が認識し、共有することが欠かせないものだと感じている。
     年末のあわただしい雰囲気の中で、年越しの料理と一緒に飲むお酒のことなどを考えながら、ふと頭に浮かんだことだ。
     改めて思うが、北海道独自のソウルフードと呼ばれるような食文化や慣習などは今後も守っていかなければならないと思う。高校時代の修学旅行で食べた関西の赤飯のことを思い出した。色が淡く、小豆が程よく混ぜられ、あまりにも上品で、おふくろが作る北海道のそのものとは全く別の代物だった。
     ショッキングピンクのご飯に燃えるような赤い紅ショウガ、どでかい甘納豆がたっぷり入ったお赤飯。いくつになっても北海道民である私の心を捉えて離さない。

     皆様、良いお年をお迎えください。

                               遠藤 桂一

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